くまおやぢの雑記帳

50代のオッサンです。気になることを気ままに綴っていきます。最近ではダルマに似てるって言われてます。

当サイト管理人、くまおやじです

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くまおやじがどんな人間か詳しく知ってもらいたいため、Twitterのプロフィールだけでは時数に制限があるためこちらに書き出しました。よかったら最後まで読んでやって下さい。

昭和40年代生まれの第二次ベビーブームの量産型不良品、昔は怒りっぽかったけど、今はだいぶ丸くなった。まるで借りてきたくまだといわれる。

タバコは一日ひと箱を30年以上続けていたが、先月からまた禁煙。そのうちまた禁煙休止になると思います。酒はもう既に一生分飲んだので飽きたので止めました。嫁さんに息子二人で呑気に楽しく暮らしてます。

高校時代

ある競技でそこそこ活躍した。調子づいてスポーツ推薦で高校へ入り、一つ上の底意地の悪い先輩に入学前の練習の時点で目を付けられる。

入学してからは毎日しごかれる。体中にあざができ、ひざの靱帯を壊され、夏休みの校内合宿で袋叩きに合う。このままでは殺されると感じ、脱走した。

幸い、公立校だったため退学せず無事に卒業したが、そのせいで後輩たちが5年間推薦枠が閉ざされたらしい。

建設会社へ就職

それなりに仕事をこなし、現場作業員、現場監督、営業を経験した。仕事はそれなりにこなし特に可もなく不可もない至って普通の社員だったと思う。

パソコンに出会う

営業に配属され、見積や積算をするためにパソコンを支給されたのが IBM ThinkPad Win3.1 ハードは3GB1時間に1回は必ず固まっていた。今じゃ全然考えられないほどの低スペックな代物だったが、でも当時は時代の最先端を走ってたハイスペックな製品だろうと思われる。

初めてExcelを開いたとき、パソコンでなくボクが固まる。何をしていいのか皆目見当もつかずの状況だった。社内にはパソコンを使える人は誰もいなかった。それなのになぜパソコンを勧めたのかが謎だった。

そんな折、たまたま知り合いの工務店の社長を紹介される。この社長はExcelのマクロを組むほどのエキスパートだっが、かなり偏屈で有名な人で、言ってることも高度過ぎて理解ができなかった。

質問すれば機嫌を損ねる、基本怒鳴り声で耳障りで萎縮した。高校時代の先輩にいじめられてる感じがしてとても嫌だった。今では完璧なパワハラレベルで、結局この社長の言動に辟易とし、2週間で指導を放り投げた。

書店の参考書で独学開始

営業で出掛けた先にでかい書店があったので、休憩がてら寄ってみたところ、そこにはパソコン関連の参考書が結構な数置いてあった。それを見て直感で1冊選び、帰社して見よう見まねでいじくりまわした。

パソコンを初めて触ってから約1ヶ月、初めて動かせた。この時の感動は、高2の時に初めて彼女ができた時のそれを軽く超えていった。

そしてふと思った。これ使いこなせたら、ヒーローになれるんじゃねぇかと。まだインターネットは存在していなかったため、毎週その書店へ通い、情報収集をした。

20代の後半で起業、倒産

派遣会社なんぞをこじんまりと始め、商売がうまくいかずに結局会社を畳んだ。気が付いたら借金は億越えになっていた。特に仕入れがないのによくもまあ銀行が金を貸してくれたもんだ。その借金はとても返せる額ではないのでそのまま塩漬けになっている。

定期的に督促状は届くが、開封せずにゴミ箱行きで、そのうちあきらめてくれるだろうと思っている。億越えの借金でのうのうと生きてんのはさすがと仲間内からは一定の評価を受ける。

でも最初の頃はこの先どうなるんだろうとかなりビビってたが、天性の能天気が幸いしていたため、命さえ取られなきゃ大丈夫と考えて今に至る。

金の切れ目が縁の切れ目

それまで仲良く付き合ってた仲間は、会社畳むと同時に去っていった。それまでの付き合いだったんだろう。その時思った。友達ってなんだ?仲間ってなんだ?と

所詮仕事の繋がりや、飲み仲間、ゴルフ仲間。遊びがありきのお友達ごっこだったんだろう。それでも、捨てる神ありゃ拾う神ありで事務所の引っ越しやら残務整理やらを親身に手伝ってくれた連中もいた。なので、友達の数は多けりゃいいってもんじゃないと思っている。

パソコンだけは続けていた

25歳でパソコンを始めてから、これだけはずーっと続けていた。なぜなら、これが使えたらヒーローになれるんじゃないかと感じたからだ。ただ、残念なことに稼ぐ方ではなく使う方にシフトしてしまったようだ。

まず初めてすぐにハマったのがICQという無料チャットサイト。知らないお姉さんとチャットができ、寝ずに一所懸命キーボードを叩いた。そこで3人くらいの彼女ができた。

このICQのおかげでブラインドタッチの技術が習得できた。それからご近所さんを探せという日本初のコミュニティサイトに大ハマり。今でいう出会い系サイト無料版といったところ。これでもいろんな女子と交流することができた。今となっては懐かしい。

30代半ばでアフィリサイトを始める

たまたま見かけたアフィリの塾にモノは試しで入会した。手っ取り早く稼げる出会い系サイトの紹介サイトを作った。ペラサイトにもかかわらず、3週間後には4000円の収益になった。

それから半年の間、約300万を稼ぐことができた。7ヶ月目は放っておいても月50万になるだろうと余裕こいて遊び惚けていた。すると突然サイトは飛ばされ、翌月の収益は2万円に激減。それ以降は何をやっても1円も稼ぐことができなくなった。

アフィリをあきらめ派遣ドライバーへ

この稼ぎでどうやって子供を養っていくのか?と嫁にガン切れされたため、すぐに派遣会社へ登録、時給1600円で派遣ドライバーとして働く。半年ほどして、昔の仕事仲間からスカウトされ、大型・けん引免許を取り、仲間の会社へ転職。

大型ドライバーとしてデビュー

この会社では主に重機や砕石、産廃などの運搬を担当した。仕事自体は楽だったが、拘束時間が長い&薄給のため2年で退職。転職先を探していたころ、知人から都内での仕事を紹介された。それが今の職場だ。

40代にしてグンマー都民に

たまたまパソコンが使えたのと、昔取得した一級土木が役に立った。一応下請からの出向社員ということである会社へもぐりこんでいる。この3月のコロナ禍により、在宅勤務になり、通勤時間が往復4時間削減された。

また、おととしから始めた週末ドライバーが突然繁忙期になった。息子の部活はすべて中止となり、週末は全部バイトに入った。おかげで収入は増加した。

40万貯まったところで、給付金の10万を追加し、TechAcademyに入会したが、時間が取れないために途中でさっさとあきらめた。

自身の経験を活かし、無料相談を開始

借金を抱えている状況でのうのうと生きてきて思ったのが、逃げる必要はないということ。ただし、ブラックなので与信は通らないため、ローンや借り入れはできないが、身の丈に合った生活をすれば何の問題もない。

幸い自分名義の資産もなかったため、差し押さえられることもなかった。このあたりの経験を活かし、借金で苦しんでる、悩んでる方の悩み相談をボランティアで行っている。

億越えの借金をしてきてもそれでも楽しく毎日過ごせている。そんなボクが実証済みだから、全然借金など問題ない。心さえ折れなきゃ何とでもなる。話を聞くくらいならいくらでも付き合うので、気軽に連絡してもらえたらと思う。

相談希望の方は、ツイッターからDMを送るか、mt.ms.mt@gmail.comまでメールにて連絡下さい。

今後の目標はブロガー

今後の目標は、ブロガーとしてアドセンスの広告収入で生計を立てること。かなり飽きっぽい性格のため、定住せずにトレーラで車上生活で日本全国を放浪していきたい。

アドセンス収益報告<2021.02.06追記>

アドセンスの広告収入について、月毎の概算金額を以下に掲載していきます。

  • 2020年12月 150円
  • 2021年01月 300円
  • 2021年02月 500円

 

できる!できる!できる!

あせらず、くさらず、あきらめず。

最後まで駄文を読んで頂きましてありがとうございました。